11. 5月 2018 · 2018年4月29日「私たちの真ん中に立ち給うキリスト」 今村まさゑ 協力牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「私たちの真ん中に立ち給うキリスト」 今村まさゑ 協力牧師

ヨハネによる福音書20章24~29節

今朝の箇所は復活記事の最後の出来事です。トマスと言えば疑い深い人の代表のように思い勝ちです。しかし、ラザロを復活させるためユダヤへ戻ろうとされるイエスさまが、石で撃ち殺されるかも知れないと案じ反対する弟子たちに、「行って共に死のうではないか」と言ったのはトマスでしたし(11:16)、また決別の話をされた時、「何処に行かれるのか解りません」とイエスさまに率直に問い「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことはできない」(14:6)と語って頂けたのもトマスのお陰でした。

そのトマスが、主がご復活された日の夕方に10人の仲間たちに現れた時、どこに行っていたのか居なかったのです。数日後、戻ってきた彼に「私たちは主を見た」と告げた時、25節の通り、「主の手やわき腹の釘跡に、自分の指を入れて見なければ決して信じない。」と言い張りました。8日の後、弟子たちは家の全ての戸に鍵をかけ息をころしていました。トマスも一緒でした。ユダヤ人を恐れ閉じこもっている彼らの中へ主は入って来られ、皆の真ん中に立ち「平安があるように」と言われ、トマスに「あなたの指を、わたしの手とわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と語られました。まるでトマスを目指して入って来られたようです。20章はじめのマリアには「触れてはいけない」と言われましたが、トマスには「指を入れてみて、信じなさい」と。トマスは答えて「わたしの主、わたしの神よ」と言ったとあります。トマスは、もはや指を入れる必要を感じなかったのです。おそらく、跪き、ひれ伏し、主が十字架上で「わが神、わが神・・」と叫ばれたように「わたしの主、わたしの神よ」と叫ばずにはおれませんでした。24節に、「ディディモと呼ばれるトマスは」とありますが、これは「双子」の意味です。もう一人のことは書かれていません。ある学者が言っています。この双子の一人こそ、疑い深いあなた自身ですと。

しかし、この弱いトマスの祈り、叫びをどれ程多くの人々が捧げてきていることでしょうか。「わが主、わが神・・」と。最後に、私たちに対するペテロの言葉があります。「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今、見なくても信じており、言葉では言い尽くせない、すばらしい喜びに満ち溢れています。」(ペテロ第一1:8)

(4月29日)


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