26. 4月 2018 · 2018年4月22日「光よあれ」 加山 献 牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

創世記1章1節~5節 「光よあれ」 加山 献 牧師

神様は「言葉」によってこの世界を造られました。そして、最初につくられた被造物、それが「光」でした。この「光」とはどのようなものなのでしょうか。

第一に光は暗闇を照らし、真実を伝えます。聖書は、わたしたちひとりひとりは神に愛され、かけがえのない価値をもつ存在であることを伝えます。しかし同時に、わたしたちは皆、暗闇の中にいる、といいます。ヨハネによる福音書12章46節でイエス・キリストは「わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た」と語りました。ひとたびキリストの光に照らされるのであれば、暗闇の中に潜んでいる「本当のわたし」の姿が明らかになります。本当の自分の状態を知るためには「光」が必要です。「光」の前に出ていくときに、自分には助けが必要だということに気づくことができます。

第二に光は罪を消し去ります。体にタトゥーという刺青を入れることが、ある若い方々の間で流行しています。ところが、タトゥーを入れた人の90%くらいの方々が、あとで後悔して消したいと思っているそうです。皮膚に焼きこんであるので、いくらお風呂で体を洗っても消えません。しかしこの、皮膚そのものに焼き込まれた入れ墨を消す方法があります。レーザー治療です。光には、一旦体に染み付いたものを分解して消し去る力があるというのです。同じように、やり直すことのできない過去の過ちがわたしたちを責め立てることがあります。心の痛みが内側からわたしたちを締め付けることがあります。でもキリストの光は、それらを消し去る光なのです。

第三に、光にはぬくもりがあります。この春の日差しのように、光にはぬくもりがあります。人が生きていくためにはぬくもりは欠かせません。キリストの光はあなたの内側から輝き、あなたを決して離れることはなく、心の奥からあなたをあたためます。

ヨハネ福音書の1章1節~5節は創世記の1章1節~5節と、密接に関わりあっています。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」最後の「理解しなかった」という言葉は「打ち勝たなかった」と訳することもできます。暗闇は光に勝つことができなかったのです。闇が支配する世界に向かって「光あれ」と言われた神様は、わたしたちの闇を照らす光として、わたしたちのもとに来てくださいました。わたしたちの人生に勝利をもたらす真理の光を喜ぶ一週間を過ごしましょう。


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