12. 4月 2018 · 2018年4月8日「悲しい道ではない」 加山 献 牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「悲しい道ではない」 加山 献 牧師

ルカによる福音書24章13節〜35節

聖書は、なぜ彼らが道中イエスさまに気づかなかったのかシンプルに説明しています。「二人の目は遮られていた」(16節)というのです。彼らは悲しみや失望感によって目が遮られていたということです。わたしたちにとっても、すぐそばを歩んでいてくださるイエスさまを見えなくさせるものがあるでしょうか。

また、クレオパたちは、イエスさまに対して間違った期待を抱いていました。「私たちはあの方こそ、イスラエルを解放してくださると、望みをかけていた」(21節)とあります。当時、イスラエルはローマ帝国の支配下にあり、植民地でした。彼らはイスラエルが独立し、繁栄を回復するための指導者を待ち望んでいたのです。そして、イエスさまこそがこの革命のリーダーとなって自分たちを引っ張っていってくれる存在だと考えていました。それに対し、イエスさまが「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された」(27節)とあります。ご自分について説明された、ということは、神さまの全人類に対する、壮大な救済計画について解き明かされたということです。その計画は十字架で頂点に達します。30節で「イエスさまが賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」というのは、いうまでもなく、主の晩餐を表しています。二人の目が開けたのは、二人が十字架の意味を、自分たちのために裂かれたイエスさまのみからだの意味を理解した瞬間でした。

二人の弟子は、生きておられるイエスさまに気づいたあとに、エルサレムに向かって引き返しました。今まで悲しく、寂しく歩んできたその道を引き返していったのです。もう日も傾いて、あたりは暗くなりました。でも、その道はもう悲しい道ではありませんでした。イエスさまが生きている、その喜びの知らせを見出したからです。


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