24. 3月 2018 · 2018年3月18日「土の器に盛られた至宝」今村幸文牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

先週の宣教要旨 

「土の器に盛られた至宝」    

第二・コリントの信徒への手紙 4章1~12節

今村幸文牧師

聖書は人間をどう見ているか、ということを思いめぐらせて創世記2章7節にこうあります。

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。

人はこうして生きる者となった。」

人間の形成とその生命との中に神の創造の意志と働きを知ることができます。

今日のみことばに「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています」とあります。

人間は土の器であるというのです。土の器は、鉄や銅の器に比較しますと弱く脆いものです。

人の生涯を、生、老、病、死という言葉で言い表すことがあります。生きる悩み、老いる厳しさ、

病む辛さ、死の悲しみがわたしたちの人生に付き纏っています。
また土の器を金や銀の器と比較しますと殆ど光を発散しません。人間は神の命の息を吹き入れ

られた者として神の意志に従い、神の霊の導きに従って生きるはずの者です。しかし人間は自分

のみを主張し、自我の増大、拡大を図り、神の創造の意志を無視し、人を軽視し、自然や動植物を

乱獲し、生態系の秩序を破壊して来ました。罪とは神の意志に逆らうことです。人間の罪はこの世を

暗黒にしてきました。金や銀以上に輝く存在となるように神によって創造されているにもかかわらず、

神との関係を拒否し、自己中心を貫いてきました。

人間という器は、誠に土の器に過ぎないことが分かります。しかしそのような土の器について、

パウロは「このような宝を与えられている」と言っています。「このような」とは、

神のことば(2)、福音(3)、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光(4)、

イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光(6)と記されている宝です。要約すれば、

「世の光なるキリスト、福音」と言ってよいでしょう。まさに土の器に盛られた至宝です。

5節にこうあります。「わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス

・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身はイエスのためにあなたがたに仕える僕なの

です。」十字架の主は、復活の主です。土の器はどこまでも土の器ですが、それはキリスとの

死を現わし、復活の命を現わすことに用いられるのです。八方破れのわたしたちですが、

イエス・キリスト・福音の故に十字架の光、復活の光が現われる器とされるのです。

(3月18日)


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