09. 3月 2018 · 2018年2月25日「イエスの弟子であることのしるし」K.J.シャフナー師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「イエスの弟子であることのしるし」

ヨハネによる福音書13章34~35節            K. J. シャフナー師

今年度が終わりに近づいたところで「キリストの愛に倣って歩む」という早良教会の年度目標を振り返ってみたいと思います。選んだ聖書の箇所はイエスが弟子たちと一緒にとる最後の晩餐の場面からです。ルカによると食事の前に弟子たちは誰が一番偉いかについて論じ合いました。13章でヨハネはこれに対するイエスの反応を教えてくれます。イエスは僕の役割を担い、弟子たちの足を洗うことにしました。そして食事の間にイエスは自分を裏切る者について語りました。

食事の後にイエスは、弟子に「互いに愛し合いなさい」という「新しい掟」を与えました。提案ではなく、願いでもなく、命令でした。旧約聖書に於いても神は隣人を自分のように愛するように命じられ(レビ記9:18)、「善きサマリア人」の譬ではイエスも「隣人」の定義を拡大しました。しかし、その新しさは「わたし(イエス)があなたがたを愛したように」という言葉にみられます。弟子たちは、最初にイエスが彼らに仕えた姿を思い浮かべたかもしれませんが、その晩の内に見えたイエスの十字架の姿は彼らの記憶に焼きついたでしょう。

私たちは命令された愛を知ろうとすれば、イエスを見ればいいです。その愛は人に仕え、犠牲を払ってもいい、人を排除することなく、人を受け入れ、感情で表すのではなく、行動で表す愛です。(ヨハネの手紙一4:7-10、20-21参照)

初代教会の目立つ特徴は人種、民族、年齢、ジェンダーを超える愛でした。アンテオケ市の教会員は「クリスチャン(小さなキリストたち)」と呼ばれました。イエスが言われたように愛し合うことは弟子であることのしるしです。

「お互いに愛し合う」ことは弟子の一生の目標で、教会の目標でもあります


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