09. 3月 2018 · 2018年2月18日「天から降り注ぐ豊かな恵み」吉津充兄 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「   天から降り注ぐ豊かな恵み」

聖書箇所 マタイによる福音書25章14節~30節                  吉津充兄

20数年前、大分のある教会で、毎週のように十分の一献金による喜びを証しする兄弟がいました。「神さまが『試みてみよ』と言われるのだから、確かなことだ。どしどし試みようではないですか。」とお奨めしていました。その喜びに満ち溢れる表情を見ているうちに、「私も十分の一献金をしよう。」と思い、実行しました。すると、次々と収入アップするという事が起こりました。まるでビギナーズラックのような話です。しかし、収入だけが恵みではありません。試練もまた恵みです。私の部署は、リストラのターゲットとなり、全員退職となりました。その頃、「自殺するかもしれない」と思う程の過労状態だった私には、神様が私を守るためにくださった恵みだと思いました。幸いに退職から一週間後には、「うちに来てほしい。」と電話があり、再就職が決まりました。しかし、再就職ですので、収入は半分になりました。けれども、5時に帰宅し、のんびり生活できる恵みを感じました。そして、神はさらに試練を与えられました。妻が乳がんになり、そのがん治療のために、貯金は底をつき、自己破産寸前状態になりました。しかし、神は耐えられない試練は与えられません。神は私に、新聞配達の副業を与え、自己破産から守ってくださいました。その後、妻はガン治療しながら仕事に行き始めました。新聞配達は約10年間で、去年の11月に終えることができました。

私は、十分の一献金をすることにより、神が天から豊かな恵みを注がれていると信じています。全てを神が守り、導き、恵みを注いでくださるので、私はすべてを委ね、何も心配することはありません。

十分の一献金は、余裕があればできるとか、収入が多くなければできないとかいうものではないことは、証しからお分かり頂けると思います。

収入は、神様からの預かりものと考えなければなりません。収入の十分の九を私たちは有効に活用し、十分の一は神様にお返しする。これが十分の一献金です。

たとえの中の5タラントン預かった僕と2タラントン預かった僕は、預かったものを活用して利益を出しました。しかし、1タラントンを預かった僕は、預かったものが少ないと、活用することをあきらめてしまって、土に埋め、神様の指示、期待に応答しなかったから、神様は怒ってしまったのではないでしょうか。ここであきらめずに活用しようと努力していれば、結果が1タラントンのままであったとしても、神様は評価されたのではないでしょうか。神様は、結果だけを見るのではなく、努力を見て下さる神様だと私は信じています。

同様に、神様から指示されている十分の一献金も「預かったものが少ない」と最初からあきらめてしまうのではなく、千円でも二千円でも少しでも十分の一献金あるいは、それに近づける努力によって、神様に評価され、十分の一献金と同等の恵み、天から降り注ぐ豊かな恵みを与えてくださると私は信じます。

私たちは、4月から若い牧師を迎えます。私たちが望み、私たちのために来て下さる牧師を、私たちは支えなければなりません。そのためには、十分の一献金あるいは、それに近づける努力が必要です。

私達一人一人が、早良教会を支える意識を持つことが神様への応答ではないでしょうか。惜しんでではなく、感謝の心と喜びに満ち溢れて、捧げる者でありたいと思います。


Comments closed