先週の宣教要旨
「成長する信徒、キリストの体なる教会」
エフェソ 4章12~16節 今村幸文牧師
「教会とは何ですか」という問いに対して大切な一つの答は、「キリストの体です」
という答えです。第一コリント12章27節にこうあります。「あなたがたはキリストの体
であり、また、一人一人はその部分です。」エフェソ1章22~23節にもこうあります。
「神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上に
ある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、すべてにおいて
すべてを満たしている方の満ちておられる場です。」キリストと教会との関係は、頭と体
という関係です。一人一人の教会員を結び合わせ、一つにする頭としてのキリスト、また
一つの頭であるキリストのもとに一つの体としての教会がありながら、その体にはいろいろな
部分があって、その部分のそれぞれの働きが、異なっています。
キリストこそ教会を生み出したお方であり、また教会の命そのものであり、教会に原動力
を与え、教会のすべての活動にその方向と力を与えてくださいます。キリストは教会の中に
満ち満ちておられます。そうされることによって教会を完成してくださるのです。
教会がキリストを頭として、いただいているということは、教会の勝利を保証しているのだ
と言ってもよいでしょう。
父と子と聖霊の御名によるバプテスマを受け、神のものとして世から区別され聖なる者
たちである私たちは、みことばと聖霊によって奉仕に適した者として整えられ、キリストの
体なる教会を造り上げて行きます。遂には私たちは皆、神の子に対する信仰と知識において
一
つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。
15節が「頭であるキリスト」を私たちの成長の目標として示しているのに対して、16節では、
キリストをすでに今ここで、即ち教会で働く私たちの歩みの力である方として語っているのです。
目標である方が今ここで霊において働いておられます。教会形成の力は、頭なるキリストから来ます。
各々の部分が、頭であるキリストから命と力を得て、分に応じて働く大切さが強調されています。
ただし、キリストの体として教会が集合的に成長するためには愛を欠くことはできません。
愛の支配しないところには、教会は建てられないのです。「信仰と希望と愛、この三つは、
いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」