26. 1月 2018 · 2018年1月21日「惜しみなく献げる豊かさ」今村幸文牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

先週の宣教要旨 惜しみなく献げる豊かさ

コリント第二、8章1~9節

マケドニヤ州の諸教会は、その創立の当初から激しい試練と極度の貧しさの中にありました。その試練は、律法に立つユダヤ主義者たちによる迫害であり、極度の貧しさは、ローマ政権の重圧で植民地としての商業上の困難と財政上の窮迫、搾取によるものでした。当時のキリスト者たちは、主イエス・キリストの名のために辱めを受けながら極度の貧しさに苦しみました。

そのような現実の中でマケドニヤ州の諸教会に与えられた神の恵みについて使徒パウロは、コリント教会の信徒たちに証しをしていますが、それは今日の私たちの教会への励ましと導きでもありす。

マケドニヤ州の教会にはフィリピ教会、テサロニケ教会、べレア教会などがありました。これらの教会に与えられた「神の恵み」いうのは、先ずキリストによって与えられた救いです。9節後半に「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。」とあります。主イエスが人となり僕の立場に身をおかれ、十字架の死を遂げられたほど「貧しくなられた」のです。「それはあなたがたが彼の貧しさによって富む者になるためである。」とあります。「富む者」とは「救われた者」ということです。主の十字架で罪赦され、復活で命を与えられた者です。その喜びは他に対する愛とならざるを得ません。貧窮のエルサレム教会への慈善の業となりました。

その業は、「惜しまず献げる豊かさ」となったのです。実に「神の恵み」こそスチュワードシップ奉献運動の原動力です。今朝の聖書箇所は僅か9節ですが、「恵み」という言葉は、ギリシャ語原文では、5回繰り返されています。1節では、「神の恵み」9節には「イエス・キリストの恵み」と今日の聖書にあります。その他新共同訳聖書では三つの「慈善の業」という言葉が、原語では「恵み」となっています。言い換えますと「慈善の業」は、献金と言ってもよいのです。従って「慈善の業」・献金は、「恵み」なのです。また恵みの原語はカリスということばですが、感謝という意味もあります。献金は、常に底深い泉のような歓喜と感謝の溢れをもってなされます。

ささげまつる ものはすべて 御手より受けたるたまものなり

みまえにいま かえしまつる みさかえのために 用いたまえ(教団讃美歌548)

2018・1・21(今村幸文)


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