2023年6月4日「奇跡を望むなら」加山献牧師

「奇跡を望むなら」加山献牧師

マタイによる福音書13章53節〜58節

「人々はイエスにつまずいた。イエスは、『預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである』と言い、 人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。」(57節~58節)

この聖書箇所には、イエスさまがお育ちになったナザレという村での出来事が記されてあります。今やイエスさまは、神の国の福音を携えてご自分のお育ちになった故郷に帰って来られたのです。

ところが57節には「人々はイエスにつまずいた」とあります。ここでの”つまずく”という言葉はイエスさまを信じることができなかった、という意味で使われています。長いこと待ち焦がれていた救い主がやってきたのに、なぜ信じることができなかったのでしょうか。それはイエス・キリストの人間としての一面をよく知っていたからです。

55節には「この人は大工の息子ではないか」と人々がつぶやいた様子が記されています。その通り、イエスさまは大工であったヨセフの子としてお育ちになられたのです。ユダヤの文化では長男はお父さんの仕事を手伝うのが普通でしたので、イエスさまも父ヨセフと共に大工仕事をしてお育ちになられました。

 

(1)人の子としてお生まれになった主イエスの謙遜と従順

このことを深く考えてみる時、気付かされるのは、イエス・キリストは本当に人としてお生まれになり、人として生きられたのだ、ということです。神の子であられるお方が、天の権威と栄光をすべて持っておられたお方が、人の子となられ、額に汗を流し、人々に仕え、従順に生きられました。

お父さんのヨセフは早くに亡くなったと伝えられています。ですので、長男であったイエスさまがご家族を支えたのです。30歳になるまで救い主としての公の生涯を始められなかったのは、弟や妹たち、そして未亡人となったお母さんのマリアを支えるためだったのです。

 

(2)奇跡を望むなら・・・

二番目のメッセージは58節にあります。「人々が不信仰だったので、そこではあまり奇跡をなさらなかった。」

イエスさまに力がないから奇跡がおこなえなかったのではありません。マタイは人々が不信仰だったので、と説明しています。わたしたちは信仰によって、イエスさまの力を私たち一人一人の人生に歓迎しなければならないのです。

わたしたちの生活の目標は、何気ない日常の中に、溢れるばかりの感謝と平安と喜びを見いだすことです。イエスさまを信仰によってわたしたちの人生に歓迎する時、何気ない日常は奇跡に満ち溢れたものに変えられます。