20. 1月 2018 · 2018年1月14日「神の相続者として生きる」 今村まさゑ協力牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「神の相続者として生きる」

ガラテヤの信徒への手紙 4章1~7節  

今村まさゑ協力牧師

ガラテヤは現在のトルコで、この地方の諸教会宛ての書簡です。その内容は

「人は律法の行いによってではなく、信仰によって義と認められる」とパウロは述べて

来たのです。ところが、ユダヤ主義者は「イエス・キリストを信じる信仰だけでは不十分、

割礼をうけて律法を守らなければいけない」と言う意見にゆさぶられ、後戻りしょうと

する人々に対して否と(2:15~16)語っているのです。

3章1~3では、「まだ分からないのか」と言うほどです。今朝の4章1~4に未成年の説明が

わかりやすく語られていますが、真に成人になるとは(日本では20歳で先日各地で

成人式が行われていましたが)神を認め、信じ、神の子になること。その時、大人の

特権である自由を得る。

5章1節に「自由を得させるため、キリストは私たちを解放してくださった」。

わたし自身も20歳のとき、郷土の慣習や他人の目に真綿のように縛られとても不自由な日々

でしたが、キリストの十字架の贖いを信じた時、目に見えぬ何重にも巻かれた縄目がバサッと、

断ち切られ「自由!」を得た経験をしました。

5節の贖い出すとは、奴隷を代価を払って買い戻す、束縛状態から自由の身にすることです。

4節の、キリストはなぜ律法の下に生まれてくださったか、それは律法が要求する完全に正しい

生活をわたしたちに代わって行うため、人となり更に、罪を犯したわたしたちのために、

律法の要求する刑罰を代わって受けて下さった。十字架について、わたしたちを律法の支配から

解放してくださった。何のために?「わたしたちを神の子となさるためでした」

神の子である証明は? 6節の「アッバ、父よ」と叫ぶキリストの霊を、私たちの心に送って

くださった事実から分かります。「アッバ、アッバ」とは、赤ちゃんが、最初に発する言葉だ

そうです。わたしたちも、もっと「アッバ、父よ」と呼ぶだけではなく叫ぶ、盲人バルテマイが

「イエスよ、わたしを憐れんで下さい」(マルコ10:47)と叫び続けたようにです。

また「聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです」(Ⅰコリント12:3)

わたしたちはもはや律法やサタンの奴隷ではなく、神に愛され贖い出された神の国を相続する者

なのです。何という恵み、何という幸いでしょう。


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