28. 12月 2017 · 2017年12月3日「マリアの賛歌」今村幸文牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

                    マリアの讃歌     

ルカ1章39~56

待降節を迎えた今朝の聖書個所には二人の女性が登場しています。受胎告知を受けたマリアは、天使の「あなたの親類のエリサベトも年をとっているが男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのにもう6カ月になっている」との言葉を思い起こしエリサべトを山里へ訪ねます。そして二人の出会いは、共に神讃美を引き起こされました。

今朝の宣教題は「マリアの讃歌」ですが、その前に「エリサべトの讃歌」があったのです。主にある信仰の交わりの重要さを痛感させられます。

この二人の親しき交わりの中にキリストの教会の姿を見た人々はたくさんいます。「エリサべトの讃歌」は、42節から45節のエリサべトの言葉にあらわされています。特に45節の言葉に注目しておきたいと思います。「主のおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いなことでしょう」。

エリサべトはマリアを「わたしの主のお母さま」と呼んでいます。ここには既に二人の出会いによってヨハネとイエスとが結びつけられ、神の救いの御業が開始されています。そしてそれはイエスの十字架と復活とを目指し延びています。

「マリアの讃歌」は、マグニフィカートと言います。この歌のラテン語の最初がこのマグニフィカートと言う言葉であることに由来します。47節「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は、救い主である神を喜び讃えます。」「あがめる」という言葉はメガル―ノオ―つまり主を「大きくする」と言う意味があります。神をあがめる、というのは、神を大きくするということです。人間の不信仰は、自分を大きくしようとするところにあります。

マリアは「自分を小さくし、神を大きくする」と歌いました。私の存在、生活というレンズを通して神の御名が「拡大される」ようにとの祈りをもって過ごしたいものです。

50節と54節に「憐れみ」という言葉があります。48節に「身分の低いこのはしためにも目を留めてくださったからです」とありましたが、それは憐れみの眼差しです。マリアの讃歌は、「神の憐れみ」をその主題としています。

その憐れみは、やがてひとり子を十字架につけ復活させて私たちを罪と死とサタンから救い出す徹底したものなのです。


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