02. 12月 2017 · 2017年11月19日「天に蓄えられている財産を受け継ぐ者」今村幸文牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

天に蓄えられている財産を受け継ぐ者

ペトロ一、1章3~9節  今村幸文牧師

今朝は召天会員会友を偲びつつ、ご遺族の上に主の御慰めを祈りペトロの手紙を通して主なる神のみことばを聴いて礼拝を捧げたいと思います。

先ず今日のみことばは、「ほむべきかな」という言葉で始まっています。この讃美はペトロの第一の手紙全編に響き渡っています。死者を偲ぶのになぜ「ほむべきかな」でしょうか。それは讃美の理由、内容を知らなければなりません。

「イエス・キリストの父なる神」こそが、真に讃美されるべき神であるからです。イエス・キリストにあってこそ、神がご自身を愛の神として決定的に現わしておられるからです。神を讃美すべき最も根本的な理由は、このイエス・キリストにおける救いの恵みです。天に召された兄弟姉妹は、その救いである

十字架と復活の福音を知り、罪と死からの救いを信じて人生を生き、主なる神のみもとに召されたのです。それ故、「ほむべきかな」です。

「あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました」

私たちが受け継ぐべきものを約束されています。その財産とは何でしょうか。

パウロの言葉でいえば、「御国を受け継ぐ」ことです。ペトロの手紙で言えばそれは終わりの時に現わされるように準備されている救いの完成です。その救いにやがて与るのです。この救いの明らかになる時、それを今日のみことばで「イエス・キリストが現れる」と言っています。イエス・キリストが現れる時、先に召された兄弟姉妹とわたしたちは、称賛と光栄と誉れをもって覆われてしまうのです。最後に試練と喜びについて、みことばに聴いておきましょう。  さて私たちの地上における生活の現実は試練です。生、老、病、死と言いますが、試練の連続です。試練と喜びは元来、相容れない甚だしく異質な経験であり、どのようにしても結び付くことはできません。試練を喜びに転換させるものが三つあります。第一は人間の側における何ごとかではなく、神の救いの計画とわざです。第二は、試練が「しばらくの間」の苦しみだ、ということです。試練がどんなに長くても、救いの祝福の永遠性の前で圧倒的に限定されている、ということです。第三に、試練は信仰生活を試し、精錬して、それを純金よりも貴いものとなし、終末の日に称賛と光栄と誉れをもたらすのです。


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