09. 11月 2017 · 2017年11月5日「キリストにあって一つ」 今村幸文牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

先週の宣教要旨

キリストにあって一つ」  

エフェソの信徒への手紙 2章11~22節

今村幸文牧師

エルサレムで最初に成立した教会の構成員は、皆ユダヤ人でした。福音を伝えた人たち、

ペトロ、ヤコブ、ヨハネもユダヤ人ですし、彼らが伝道した相手もユダヤ人たちでした。

従ってイエスをメシア(キリスト)救い主と信じるユダヤ人たちの集まりとして教会は

成立したわけです。そこに異邦人、つまりユダヤ人から見て外国人が加わるようになります。

伝道がユダヤを越えて小アジアから地中海世界全体に広がって行くと異邦人は益々多くなり、

ユダヤ人キリスト者と異邦人キリストの間には亀裂や対立が少なくありませんでした。

ところで現代はあらゆるところに対立や憎しみや敵意が存在しており、それが、私たちを

不幸にしています。お互いが持っている様々な違いによって他の人に対する憎しみや敵意を

抱くようになっております。これはほんとうに悲しむべきことで身近なところでは、家庭、

学校、職場においても見られますし、また社会においても世界においても見られる現象です。

しかし本当の理由は、こうしたお互いが違いを持っているということにあるのではなく、

人間が罪を持っているというところにあります。

キリストはユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の罪を身代わりに背負い十字架に

かかられたのです。キリストが傷つかれることによって当事者であるユダヤ人と異邦人が

自分の罪に目覚め、お互いに心から和解するようになったのです。

キリストは私たちの平和でありキリストにおいて一つとされるのです。

最後にエフェソ書における三つの教会像について言及しておきましょう。

第一は、聖なる民としての教会です。これは旧約聖書のイスラエルの民との連結性を示し、

世界における神の祝福の器という使命が新約聖書の教会において実現されているという

確信をあらわしています。

第二は、神の家族としての教会です。人間的なあらゆる壁を突き破る神を中心とした

人間の愛の交わりの共同体という側面を強調しています。神は父であり、キリスト者は

すべて神の子であり、互いに兄弟姉妹なのです。

第三は、聖なる神殿、父なる神の住まいとしての教会です。教会の土台は使徒や預言者で

あり彼らは神の言葉、福音に立つ人々です。そのかなめ石はキリストであり、教会は御霊に

よって成長し続けるのです。   ( 2017・11・5 )


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