2022年4月3日「来るべき方」加山献牧師

マタイによる福音書11章2節~11節

 イエスはお答えになった。「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」 (4節~6節)

 バプテスマのヨハネの弟子たちの質問に対して、イエスは率直に答えられました。「行って、ヨハネに、私が何を言ったかではなく、私が何をしているかを報告しなさい。私が何を主張しているかではなく、実際に何が起こっているかを告げなさい。」

 私たちもまた、このように主イエスに問いかけられているように思います。「他の人たちのために私がしてきたことに、また、私があなたのためにできることに、注目しなさい」と主イエスは言われるのです。

 主イエスに接するとき、目が開かれて、はじめて本当の自分の姿を知ることができます。隣人の真の素晴らしさを知ることができます。また、神についての真理を知ることができます。

 主イエスのもとに来るときに、傷つき倒れた者は一人残らず生きる力を受けます。主イエスに出会う時、どのような過去があったとしても、人は赦され、十字架の血潮によってその罪は清められます。今までは神の声に聞こうとしなかった人も、耳が開かれ、はじめてその愛の声に耳を傾けるようになります。罪の中に死んでいたものに、主イエスは十字架によって新しい命を与え、貧しいものには、神の愛の豊かさを与えてくださいます。主イエスはまさに人間が一番必要としている救い主なのです。このイエスにつまずかないもの(信じることができるもの)は幸いです。