2021年7月4日「永遠の安らぎに生きる」加山献牧師

「永遠の安らぎに生きる」加山献牧師

出エジプト記20章8節~11節

「安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。」

① 神に出会うために

私たちはなぜ安息日を守るのでしょうか。第一の理由は主なる神に出会い、神と親密な交わりをもち、主の御心をより深く知るためです。神さまは6日間で世界を創造し、7日目に休まれた、とあります。7日目に休まれたのは神さまがお疲れになっていたからではありません。その創られたもの全ての被造物と、特に最後に創られた人間と、共に時を過ごすために、7日目を聖別されたのです。神さまが、安息日を通して私たちに求めていることは、私たちが忙しさから退いて、神さまのもとにとどまり、憩うことです。

② 力を得るため

私たちが安息日を守る第二の理由は、霊的な力を得るためです。どんなに優れたスマートフォンを持っていても、電池が切れてしまったら全く使い物になりません。必ず充電しなければなりません。6日の間、私たち一人一人に与えられた賜物を十分に生かしていくためには、安息日にしっかりと神さまと繋がる必要があります。私たちは礼拝の中で力をいただいて、それぞれの職場、学校、家庭の中に遣わされていくのです。

③ 自由なものとして生きるため

安息日を守る第三の理由は、私たちが自由なものとされたからです。神様はエジプトで奴隷として生活していたイスラエルの人々に解放をもたらしました。同じように、イエス・キリストの十字架と復活により、罪の奴隷であった私たちにも解放の御業がなされました。

何かに追い立てられているような日常から解放されて、ひと時、神と共に安らぐ。それが安息日の礼拝のひとつの意味です。礼拝は神の国の雛形と呼ばれています。教会は天の国の先取り、天国の前味だ、という表現もよく用いられます。安息日を守る、ということを通して、私たちは天国の安らぎを体験します。私たちは地上にいながらにして、永遠の安息をほんの少しの間、この礼拝の中で味わうことが許されているのです。「御心が天になるごとく、地にもなさせたまえ。」

 

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