2021年5月30日「どのような人が神の国に入るのですか?」朱承圭協力宣教師

「どのような人が神の国に入るのですか?」朱承圭協力宣教師

マルコによる福音書10章13節~16節

「イエスに触れていただくために、人々が子どもたちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。」(13節)

子どもは家と教会の喜びです。また、子どもは教会と国家の希望であり、また、家庭の柱です。子どもと訳されている「パイディオン」という語は、幼児から12歳くらいの年齢の子どもを表す語です。

古代世界において、子どもは宝として大切にされる一方、未発達な人間とみなされて軽んじられる存在でもありました。貧しさや病の中にある子どもは、さらに軽んじられ、排除の対象にもなったようです。当時の価値観からみると、この子どもは非常に軽んじられた小さな存在であったと考えられます。

ユダヤの人々には、ラビに手を置いてもらって、子どもを祝福してもらう習慣がありましたし、今もあります。それで、人々が子どもをイエスのみもとに連れてきました。しかし、弟子たちは彼らを叱ったのです。そこでイエスはどのように反応されたでしょうか。

「しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。『子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。』」(14節)

イエスさまはこれを見て憤られました。憤りと訳されている語は、激怒、激昂というような激しい怒りを表す強い表現で、イエス様を主語として用いられているのは新約聖書の中はここだけです。こどもたちが軽んじられたことに対してイエスさまは大変激怒し、「子どもたちをわたしのところに来させなさい」と言われました。それは「来るままにさせておけ」という意味です。弟子たちがそれを妨げたり邪魔したりしてはいけないのです。なぜなら、“神の国はこのような者たちのもの”だからです。

「『はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。』」(15節)

神の国は、このような者たちのものです。神の国にはいるには、こどものように自分の弱さ、頼りなさを認めて、ただひたすらキリストを受け入れなければならないのです。

 

 

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