2021年5月16日「夜の訪問者 ニコデモ」今村まさゑ協力牧師

「夜の訪問者 ニコデモ」今村まさゑ協力牧師

ヨハネによる福音書3章1節~15節

サンヘドリンという最高議会の議員であり、ユダヤ教のパリサイ派に属する高齢のニコデモが、ある夜、イエスを訪れました。多分に立場上、人目を避けて来たのではないでしょうか。イエスの言動を見聞きして「神が共におられる教師だ」という事を、感じておりました。

イエスは、ニコデモの質問に答えて、「人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」とはっきり言われました。「新たに生まれる」とは、上から(神)の力によらなければ、神の国を見ることはできない。もっと言えば「誰でも、水と霊とによらなければ、神の国に入ることはできないのだよ。」と語られました。「水と霊とによって生まれなければ」とは、バプテスマ(洗礼)の事です。己が罪の悔い改めによって、罪の赦し、体の甦り、永遠の命の希望に生きるのです。

他の聖書の箇所にも、次のようにあります。「聖霊によらなければ、誰も、イエスは主であるとは言えない。」(1コリ12:3) 「御子を受け入れた人、その名を信じた人々には、神の子となる資格を与えた。」(ヨハネ1:12)とあります。

風と霊は、同じ語であり、「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこからきて来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そうである。」霊も同じように自由に吹きうごく、キリスト者は全き自由に生きることを得るのです。ニコデモは、理解することができませんでした。

イエスは三回「よくよく言っておく。信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」と。霊の働きによって人は変えられ心の中に確信が起こされるのです。「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。」(エフェソ2:8)

ニコデモはこの後、2か所に登場します。

ユダヤ人指導者たちが、イエスを非難する場で「我々の律法では、罪の証がなければ裁かないではないか」と弁護しています。(ヨハネ福音書7:50~51)また、イエスの処刑後、アリマタヤのヨセフとともに、イエスの遺体を引き取って、手厚く埋葬しています。(ヨハネ福音書19:39~40)

キリストを信じる時、人は新しい生き方に変えられるのです。喜びがあふれ<わたしのためのキリストから、キリストのためのわたし>へと。

 

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