2021年4月4日「転がる石のように」加山献牧師

「転がる石のように」加山献牧師

マルコによる福音書16章1節~8節

安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。 (マルコ16:1~3)

聖書箇所には、三人の女性の姿が描かれています。彼女たちは安息日が終わるとすぐにイエスさまのご遺体のもとに向かいました。女性たちはその道すがら思い起こしました。「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか。」 彼女たちは、大きな石が行く手を阻んでいる、ということを知りながらも、“行かなければならない”という強い想いに駆られて、押し出されるように踏み出していったのかもしれません。

私たちは人生において、様々な問題に出会います。コロナウイルスもその一つでしょう。仕事を失われた方もいます。世界には病気や怪我に悩まれる方々がおられます。愛する人を失い悲しんでおられる方々もおられます。これらの問題は、私たちを暗い墓の中に閉じ込めてしまおうとする重く大きい墓石のようです。

自分の力ではどうすることもできない困難に出会うことがあっても、この聖書の言葉に、共に勇気づけられたいと思います。

ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。(マルコ1:4a)

石は既に転がされていた・・・彼女たちが憂いていた巨大な障害物は既に取り除かれていたというのです。この女性たちの聖なる体験が指し示すように、私たちの人生の墓石も、既に取り除かれていることを信じます。人生におけるあらゆる問題を、この希望によって乗り越えていけるという意味だけではありません。「墓」に象徴される「死」という人類最大の敵が、主の復活によって克服され、打ち砕かれたのです。

この三人の女性たちは、“せめて最後に主の御体に油を塗り、御墓を良い香りで満たしたい。せめて最後に、もう一度、心から愛する方、慕わしいイエスさまにお会いしたい。” そのような切なる想いで墓に向かっていました。しかし、これは主イエスと女性たちとの旅路の終焉の時ではなく、すべてのストーリーの始まりの時だったのです。まさに福音の完成と宣教の始まりの朝だったのです。

墓では一人の若者(=天使)が彼女たちを待っていました。彼は二つのメッセージを携え遣わされました。一つは「主は生きておられる」という復活のメッセージです。二つ目のメッセージは「あなたはその復活の主イエスと出会うことができる」というものでした。

これこそが、今に至るまで教会の語り続けるイースターのメッセージです。そうです。主は今も生きておられ、あなたの人生を共に生きてくださる救い主です。復活の主は今日もあなたに出会ってくださり、あなたに驚くべき希望を与えてくださるのです。

 

 

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