2021年3月21日「君もそこにいたのか」加山献牧師

「君もそこにいたのか」加山献牧師

ルカによる福音書23章13節~25節

 ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。」ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。 (ルカ23章22節~25節)

ローマ帝国からユダヤの支配を任されていた総督ピラトは民衆を召集し、一晩中主イエスを取り調べた結果、「私はこの人に罪を見出せない」と語りました。そして一つのことを提案しました。それは「鞭打って釈放しよう」という提案でした。これは、鞭打ちという罰を与えることで、ある程度ユダヤ人の要求にも応えつつ、罪のない人を死刑に処することから免れさせる、という打開策でした。しかし、その提案がなされるや否や、大騒ぎになりました。民衆はあくまでも「イエスを十字架につけろ」と叫び続けたのです。

 

「君もそこにいたのか」(黒人霊歌、新聖歌113番) という讃美歌があります。

 「君もそこにいたのか 主が十字架に付くとき

  ああ何だか心が震える 震える 震える 君もそこにいたのか

  君も聞いていたのか 釘を打ち込む音を

  ああ何だか心が震える 震える 震える 君も聞いていたのか」

また詩人の水野源三さんは「私がいる」という詩の中で次のように詠っています。

  ナザレのイエスを 十字架にかけよと

  要求した人 許可した人 執行した人

  それらの人の中に 私がいる

あくまで主を十字架につけよと叫び続けた民衆、圧力に屈して罪のなき神の子を死に渡してしまったピラト、無条件の恵みにより鎖の縄目から解かれたバラバの姿、今日、私たちは自分自身をどこに見出すでしょうか。

 

 

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