2021年2月28日「ほかに神はいない」加山献牧師

「ほかに神はいない」加山献牧師

主エジプト記20章1節~3節

神はこれらすべての言葉を告げられた。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。(出エジプト記20章1節~3節)

 

上記の聖書箇所は十戒の序文と第一戒に当たる部分です。ここでは神様のことについて二つのことが示されています。

①人格的な神

第一にこの神様は人格を持っておられる、人格的な神様である、ということです。「わたしは主、あなたの神」と語られているとおり、偉大な神が「わたし」と「あなた」という関係でわたしたちと向き合ってくださる、というのです。わたしたちはこの聖書が語る神と、出会うことができます。むしろ神の方から私たち一人一人に出会ってくださるのです。聖書の神様は、私を見つめ、私と向かい合ってくださり、私たちと共に喜び、共に泣いてくださる方です。このように「私」と向き合ってくださる神は他にはおられないのです。

②救いの神

二番目に、この神様は救いの神です。わたしは「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」と語られているとおりです。

既にエジプトの縄目から救い出された人々にこの戒めが与えられた、ということに注目したいと思います。戒めを守ることによって救われたのではなく、救いは既に完成していたのです。救いという恵みが戒めに先行しています。十戒とは、恵みに応答する生き方なのです。

民の救いのために尊い小羊の血が流されて犠牲となったことを想い起したいと思います。かつてエジプトに起こった災いの時に、子羊の血をその扉に塗っていた家庭は、災いが過ぎ越していったのです。

私たちはレント(受難節)の季節を迎えています。私たちの救いのために神の小羊である主イエスが犠牲となられ、痛みを負ってくださったことを思い起こす季節です。

世界広し、といえども、私たちのために恥とそしりを身に受けて、鞭打たれ、唾を吐きかけられ、十字架にかけられた神が他にいるのでしょうか。どんなに大きな犠牲を払ってでも、永遠に私たちを取り戻し、私たちと共に生きたい、と願ってくださった神様は、この方だけなのです。どうしてこの神様に背を向けて良いでしょうか。どうしてこの神様の愛に答えなくても良いでしょうか。まさに、私たちにとって、この方をおいて「ほかに神があってはならない」のです。

 

 

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