2021年2月14日「休める場所を探す神」加山献牧師

「休める場所を探す神」加山献牧師

マタイによる福音書8章18節〜22節

 そのとき、ある律法学者が近づいて、「先生、あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言った。マタイ8: 

 ここに一人の律法学者が出てきます律法学者は当時の宗教的なリーダであり、旧約聖書のエキスパートでしたそのようなの目に、主イエスは、今までに出会ったどの教師よりも優れてい偉大な人物と映りました。彼は最高の名誉ある称号である「先生」(ヘブライ語で「ラビ」)という言葉で、主に呼びかけたのです 

 主イエスの教えは型破りで、それまで築き上げられてきた宗教の枠組みを根底から揺るがすようなものでした。そのような背景の中で、この律法学者がイエスに従っていきたい、と申し出たことは奇跡的なことだといえます。しかしイエスは、ご自身に従ってくる時に、どのような犠牲を払わなければならないのかを、真実な心で、諭されました。  

 イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」(マタイ8:20)  

 イエスに従う道は十字架の道であり、殉教の道もありました今まで得てきた知識、今まで積み上げてきた経験、人々から勝ち取った信頼、輝かしい経歴、自分の世界観、自分の人生哲学、その全てを捨てて、幼な子のようになって、私についてくることができるかそのように、主は律法学者にチャレンジされました。誰も幼な子のようにならなければ、神の国に入ることはできない、というのです。 

 主イエスと弟子たちに、実際に泊まる場所がなかったわけではありませんでした。旅人をもてなすことがユダヤの最大の美徳でしたので、旅の途中泊めてくれる人たちもきっとおられたことでしょう 

 主は物理的に寝泊りする場所について語られたのではなく、人々の精神的態度について語っておられるのです。最終的に人々はを受け入れませんでした。「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けたのです 

 イエスの教えが素晴らしいという人はいっぱいいます。キリスト教という宗教が築き上げた文化が美しいと感じる人も多くおられることでしょう。けれども、と共に生きようとする人は非常に少ないのですイエスを心の中心にお招きして、どうぞここに来ください、と告白する人々が求められているのです 

 今日も、イエスはぼろぼろの旅人の姿で、私たちの心の前に立たれます私たちは主に休み場を提供することができるでしょうか私たち自身がキリストの枕となって、心を開くことができるだろうか。休み場を探される神が、今日も私たちの前に立たれることを覚えたいと思います。

 

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