2020年11月8日「揺るがない岩の上に立つ人生」加山献牧師

「揺るがない岩の上に立つ人生」加山献牧師

マタイによる福音書7章24節~29節

 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。 雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。 」(マタイ福音書7章24節~25節)

主イエスは山上の説教(マタイ福音書5章~7章)の締め括るにあたり、この「家と土台」のたとえ話を語られました。ご自身の教えをただ聞くだけではなく、“聞いて行うものとなる”ように、ガリラヤの丘に集まった聴衆を励まされ、それぞれの場所に送り出されたのです。

 「わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」(マタイ福音書7章26節~27節)

岩の上に家を建てた人も、あるいは砂の上に家を建てた人も、二人とも同じように自分の家を建てあげることができました。しかし、雨が降り、川があふれ、洪水や嵐が襲ってきた時に、両者の違いが明らかになったのです。いったい何を土台にして人生を築いていたかが、試練の時に問われたのです。

 「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。」(第一コリント3章11節)

使徒パウロはイエス・キリストの存在そのものが私たちの人生の土台であると語っています。しかも、その土台は既に据えられている、というのです。キリストは私たちの一番低いところに降ってきてくださり、私たちを下から支えてくださっているお方である、ということを表しています。実に主イエスは、神と等しいお方であったのに、人と同じ姿をとられ、仕える者となられました。そして十字架の死に至るまで従順に歩まれたのです。

それは私たちを下から支え、試練の時に私たちを背負い、私たちが抱えるすべての重荷を一身に引き受けてくださるためだったのです。人生の中で最も暗い道を歩むような時にも、イエス・キリストは私たちを一番低いところから支え、抱きかかえて、持ち運んでくださる救い主なのです。

自分自身の力を土台にして人生を建て上げることもできます。しかし、私たちの力は時に脆く崩れやすいものです。キリストを信じる新しい人生というのは、今までの人生を全部リセットする事ではなく、土台を入れ替えることです。これまであなたが歩んで来た人生を否定することではなく、あなたの大切な人生を揺るぎないものに造りかえるために必要なことなのです。

聖書の神、キリストは私たち一人一人を大切に思っておられます。この方の提供する「揺るがない土台」を、是非あなたのものとしてください。

 

 

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