2020年11月1日「狭い門から入りなさい」加山献牧師

「狭い門から入りなさい」加山献牧師

マタイによる福音書7章13節~23節

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」(13節~14節)

【すべての人が招かれている】

「狭い門から入る」とは、キリストを信じ、キリストと共に歩むことを指しています。しかし「それを見出すものは少ない」と主イエスは言われました。

しかし、第一に知っておきたい事実は、主はすべての人を命へと招いておられる、ということです。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。」(マタイ11章28節)と語られた通り、主は柔和な方であり、すべての人を救いへと招いておられます。

すべての人を愛され、すべての人を招いておられる主がおられるなら、命に通じる門を見出す者がそれほどまでに少ないというのは、どういった理由からなのでしょうか。

それは、主イエスは柔和な方であると同時に、謙遜な方であられるからです。主は無理矢理に人々を従わせることはなされず、人間の自由意志を尊重される方なのです。その結果、主はすべての人を招かれているのですが、その素晴らしい招きに応える人は意外にも少ないのです。

私たちは自分が疲れていること、重荷を負っているということを認めようとせず、自分の弱さ、自分の罪深さを認めようとしない性質を持っています。それが私たちの罪です。狭き門を狭くしているのは、神ではなく、他ならぬ私たち自身の罪なのです。

【狭き門を見出すためには】

自分の弱さを認める:人は誰もが重荷を持って生きています。ところが私たちは、時に重荷を持っていないかのように振る舞い、弱さを覆い隠して生きていくことがあります。自分には十分な力があり、神の助けなど必要ないと感じる人がおられるかもしれません。しかし、私たちの持つすべての力、才能、経験はすべて神からのいただきものであり、そもそも人生そのものが神によって造られた賜物なのです。人生が問題なく順調であるならば、人は神に感謝すべきでしょう。

しかし人は誰でも、人生の歩みの中で、疲れ、倒れることがあります。自分に助けが必要であると認めることはプライドが妨げる、難しいことですが、自分の弱さをまっすぐに見つめ、告白し、頼るべきお方に頼りましょう。

自分の罪を認める必要がある:「狭い」という言葉は、ギリシア語で“ステーノス”という単語がつかわれています。「うめき、嘆き」を意味する言葉です。どうして狭い門から入る人が少ないのか。つまり、自分が抱える罪の問題から逃げ、目を背ける人が多いということです。聖書は私たちの罪の問題を指摘します。自分の弱さ・汚さ・罪を認める者だけが、この「狭き門」を見出すのです。「私は大丈夫です。私に問題はありません」と言い張らずに、その重荷をおろしていただきたいと思います。そして、その後に続く命に至る細い道を歩んでいただきたいと願います。その道は、共に重荷を担ってくださる方と、ずっと一緒に歩んでいく喜びの道なのです。

 

 

 

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