2020年10月18日「先ず、最後に来た者から」 今村まさゑ協力牧師

マタイによる福音書20章1節~16節

今朝の話は、前章の19:16~富める青年が「先生、永遠の命を得るには、どんな善い事をすれば善いのでしょうか」との質問に答えて語られた「天の国」の譬え話です。従って19:30と20:16「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」。に囲まれています。

日雇い労働者は夜明け前から広場に集まって、一日の糧を得るために雇い主が現れるのを待っていました。(当時の労働時間は、どこの国でも、夜明けから日没まででした。)早朝に、一デナリオン(家族を養うのに足る額)の約束で、雇われた人々は喜んで畑に向かいました。ところが、このぶどう園の主人は、9時にも、12時にも、3時にも広場に出かけ、まだ立っている人々に、「あなたたちもぶどう園に行きなさい。」と、畑に送ったのです。彼らは喜んで働きました。

主人は、5時ごろにも行って見ると、ほかの人々がまだ立っていたので「なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか」と尋ねると、「だれも雇ってくれないのです。」主人は彼らに「あなたたちもぶどう園に行きなさい」と送りました。

夕方になって、主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と(申24:15)言ったのです。

支払いは通常、夜明け組から順に払いますね。ところが、この主人は、最後に来た者から一デナリオンずつ支払いました。彼らは驚き喜びました。何という恵みでしょう。最初に雇われた人達は、もっと多くもらえるだろう思っていた。しかし、一デナリオンであった。それで、受け取ると、主人に不平を言ったのです。

『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、熱い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』 主人はその一人に「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。」感謝ではなく、不平をいう者に「友よ、」・・と呼ばれる。マタイに3回だけ。(22章12。 26章50。参照)

「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。」これが天の父のこころなのです。職を求めて一日中広場に立っていたその悲しみや苦しみを思いやり、そこに救いの手を伸ばして下さる方なのです。 「それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』妬むとは、羨ましい気持ちから生じます。

今朝の話の鍵は、自分は何時にぶどう園に行った者かです。夜明け組は・・・若くして救われた人たちなのか・・・或いは、アブラハムやイサク、ヤコブ・・・ペテロやパウロ・・・私自身は、まさしく夕暮れにぶどう園に入れて頂いたと、心から感謝しました。5時からの者であることを覚えて、今週も主にあって励んでまいりましょう。(イザヤ書 55章8節)参照

 

 

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