2020年9月20日 「あなたのためにも誰かが祈っている」 加山 献 牧師

出エジプト記17章8節~16節

 

人は誰でも、誰かに支えられ生きています。モーセに率いられ、エジプトから脱出し、奴隷の状態から解放されたイスラエルの民は、約束の地カナンを目指し、旅を続けていました。その旅の途中、彼らは思いがけない敵に戦いを挑まれたのです。

エジプトから持ってきた選別の宝を略奪しようと試みるアマレク人と戦うために隊長として任命されたのは若きヨシュアでした。彼が戦っている間中、モーセはずっと陰で祈っていました。モーセの両隣には、彼の祈りを支えるアロンとフルがいました。

私たちの人生にも思いがけない戦いがありますが、戦いの時にはいつも隣人の祈りと支えがあるのです。ヨシュアは祈られていました。私たちも祈られ、助けられることを恥じる必要はありません。人として生きていく以上、誰もが助けられる必要があるのです。

今日もあなたのために祈る隣人がいます。それが教会という共同体です。ヨシュアのように、激しい戦いの最中にあっては、目の前のことに必死で、祈られていることがわからないものです。むしろ祈られていたことに気付くのは、死線をくぐりぬけ、ほっと一息ついた後だったりします。

たとえ祈られていることを感じることができなくても、あなたは多くの兄弟姉妹よって、確かに祈られ、愛されているのです。ぜひ、そのことを信じていただきたいと思います。

そのような多くの祈りの中で、ひときわあなたのために心を込め、愛を込めて祈っている方がおられます。

 

「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ福音書22章32節)

 

これは、これから自分を裏切ってしまうペテロのために、主イエスが語った言葉です。ペテロが大きな試みに遇うその前に主イエスは前もって祈っていてくださったし、十字架への道を歩まれる中においても、常に弟子たちを愛し、祈り続けてくださったのです。

同じように、主は私たち一人一人のためにも祈ってくださっています。

 

「復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。」(ローマ8章34節後半)

 

「この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。」(ヘブライ7章25節

 

主イエスは天に昇られ、神の右の座に着かれ、私たちのために祈ってくださっている、というのです。私たち一人一人の信仰のために、今、この時も祈ってくださっている主の声が聞こえますか?私たちのために祈ってくださるその声に耳を澄ませながら、戦いの時も勇敢に生きてゆきたいと思います。

 

 

 

 

コメントは受け付けていません。