2020年6月7日「感謝の心」加山献牧師

「感謝の心」加山献牧師

第一テサロニケ5章16節~18節

「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(18節)

 

【感謝し難きを感謝する】

使徒パウロがテサロニケの教会に宛てた手紙の中に、「どんなことにも感謝しなさい」という有名な言葉があります。これは、とても感謝できないような状況に置かれていた人々に対する「感謝しなさい」というメッセージでした。使徒パウロが勧めたのは「感謝し難きを感謝する」という信仰だったのです。

普通に考えて、とても感謝できないようなこと、私たちの痛み、私たちの苦しみ、私たちの涙、あらゆる苦労さえも含めて、「どんなことにも感謝しなさい」というのです。どのようにしてそのようなことが可能なのでしょうか。

 

【イエス・キリストだけが唯一の希望だった】

テサロニケの教会の人々にとっては「イエス・キリストだけが唯一の希望だった」ということを想い巡らしてみたいと思います。激しい迫害が起こっていたテサロニケの街にあって、イエス・キリストを信じ続けるということは、非常にリスクの高いことでした。

もし彼らが信仰から離れ、教会に集うをやめさえすれば、もはやその身を危険な状況にさらす事はありませんでした。それは、あらゆる迫害からの解放を意味していました。しかし、彼らは信仰から離れることはなかったのです。

彼らにとってイエス・キリストという救い主は、それほどまでに価値ある存在であり、絶対に譲れない存在、絶対に手放せない存在でした。「イエスさまのように、わたしを愛してくれた方はない。この方のように、わたしを思ってくれた方はいない。持てるすべてを失ったとしても、イエスさまだけは絶対に放したくない。」それがテサロニケの人々の信仰でした。

極端な表現ですが、仮にこの地上の人生で何一つ良いことがなかったとしても、イエス・キリストを知るならば、わたしたちはすべてのことを、耐え忍ぶことができます。すべての痛み、すべての悩みは必ず報われるからです。

やがて主イエスがもう一度来られ、私たちを迎えてくださる。すべての苦労、すべての痛みはその時に完全に報われる。これがテサロニケの人々の抱いている絶対的な希望でした。将来に備えられている完全な救い、完全な勝利、完全な慰めに基づいて、今、私たちは喜び、どのような状況でも感謝することができる、そのような感謝と喜びを持つようにパウロは人々を勇気づけました。

御国に着く朝、私たちを抱きしめて迎えてくださるキリストがおられます。今は悲しみがあったとしても、病いであったとしても、貧しかったとしても、イエス・キリストという最大の喜びが私たちの人生に訪れてこられ、私たちを包んでいます。

↓礼拝メッセージの音声のみ

 

↓礼拝の動画

 

 

 

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