2020年5月31日「新しいことばが聞こえる」加山献牧師 通訳:朱承圭協力宣教師

「新しいことばが聞こえる」加山献牧師 通訳:朱承圭協力宣教師

使徒言行録2章1節~21節

ペンテコステの日、弟子たちは一つになって祈っていました。その時、聖霊が彼らの上に降ったのです。使徒言行録はその様子を、「炎のような舌」がひとりひとりの上にとどまった、と表現しています。初代教会の弟子たちに聖霊が降った時、彼らはそれまで学んだこともない、他の国の言葉で話しはじめた、とあります。

なぜ、聖霊は彼らの言葉を変えたのでしょうか。ヤコブの手紙3章8節には興味深いみことばがあります。「舌を制しうる人は、ひとりもいない。それは、制しにくい悪であって、死の毒に満ちている。」(口語訳)

「舌」とは、私たちの言葉をつかさどる器官です。「舌」を制御することができる人はひとりもいない、そして「舌」は制御しにくい悪であって、死の毒に満ちている、とあります。ところが、このペンテコステの日、聖霊は弟子たちの「舌」を完全に制し、コントロールしたのです。私たちにとって最も御しがたい、悪の根源である「舌」を、聖霊は取り扱ってくださった、というのです。

何のために聖霊は弟子たちの言葉を変えられたのでしょうか。それは第一に、イエス・キリストの福音を全世界に宣べ伝えるためです。そして第二に、その福音を通して、世界に和解を与えるためでした。

私たちの生きる時代にあって、私たちの唇を通して、主が語ろうとされる「新しいことば」はいかなる響きをもっているのでしょうか。唇を主にご支配していただくために、私たちは喜んで、私たちの「舌」を神の働きのために明け渡すものでありたいと思います。

かつて、ペンテコステ以前にも、神様が人々の言葉を散らされたことがありました。創世記11章、バベルの塔での出来事です。バベルの物語においても、ペンテコステにおいても、神の御業によって人の言葉が散らされました。似たような現象が起きたのに、ペンテコステには「一致」があたえられ、バベルでは「分裂」が起きたのです。

人と人の間に、また民族と民族の間に深い溝があるのは、自らが一番になろうとする、また自らが神のようにふるまおうとする、人間の深い罪の結果であると聖書は告げています。ですが、ペンテコステはその問題を回復する出来事でした。人間の力で天に届こうとしたのではなく、神の方から、聖霊となって天から降ってきてくださり、力を与え、互いに違いをもった人々を福音によって結び合わせてくださいました。

ここに「一致」という聖霊の働きが示されています。昨年、日本の流行語大賞は「ONE TEAM」でした。これは、ラグビー日本代表の標語でした。彼らは、様々な国の出身者で構成されているチームありながら、「一致しているチーム」がどれほど強いのかを世界中に示しました。私たちもまた、ペンテコステの日にこそ「一致」という聖霊の賜物を求めていきたいと思います。

教会には一致が必要ですが、ここで気をつけたいことは、一致するということは、全員が完全に同じ人間になることではありません。私たちは多様性を持ったまま一致するのです。聖書の語る一致は、「多様性の中の一致」です。国、民族、言語、この分断に満ちた世界において、教会が語るべき、聖霊に導かれた「新しいことば」があります。

 

 

 

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