2020年4月19日「赦された者として赦す」加山献牧師

「赦された者として赦す」加山献牧師

マタイによる福音書6章12節

1) 私たちに必要な祈り

主イエスがこの祈りを私たちに教えてくださったのは、この祈りが私たちに必要だからです。「この祈りが私に必要だ」ということを認めるところからはじめていきたいと思います。つまり、私たちは全員、自分は罪人なのだ、ということを改めて認める、ということです。主の赦しを必要としない人は、どこにもいない、という現実がこの祈りの前提にあります。私たちは皆、罪を持って生きている存在です。しかし、このような罪人を愛し、赦して、すべての罪を引き受けてくださった救い主がおられる、それが十字架のイエス・キリストです。

 

2)毎日祈るための祈り~十字架につけられたままのキリスト~

前回、日毎の糧をお与えください、という言葉から、主の祈りは私たちが毎日祈ることを想定されていることを確認しました。同じように、私たちは毎日、神に赦しを乞わなければならない存在であることを、主の祈りは教えています。

約2000年前、主イエスが十字架で死なれたのは歴史的事実です。そしてその場所で罪の贖いが成し遂げられた、ということを私たちは信じています。十字架は、私たちの過去の罪をすべて贖い、そして私たちがこれから犯す罪もすべて贖ってくださった、ということを信じています。

一方でパウロは、十字架につけられたままのキリストが私たちの目の前に示されている、とも語りました(ガラテヤ3章1節)。今もなお十字架につけられたままのキリストがおられる、というのです。現在進行形で、私たちが今日犯す罪のために、今日も十字架にかかられる主イエスを、私たちは知るべきだと、パウロは語っています。

 

3)私たちの祈り~世界を包む祈り~

この祈りは個人的な祈りにとどまりません。これは「我ら」の祈りであり、「教会」の祈りです。「我らに罪を犯すものを、我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。」

私たちが一緒に生きていこうとするならば、お互いに借りを作りあって生きていくことは避けられません。しかし、私たちは共に生きていくように造られたのです。赦しあい助けあって生きるように、神さまから招かれています。

そして、この祈りは世界を包む祈り、すべての人のための祈りです。個人的な罪の告白にとどまらず、全世界の罪、民族の罪、政府の罪、すべての人の罪を告白していく祈りでもあります。この問題のある国をどうにかしてください、というのではありません。神よ、赦してください、これは我らの罪、私の罪です、と告白する祈りです。

神の国が実現する時、御国では怒りや憎しみはありません。批判や悪口、他の人に対する不平不満もありません。完全に赦しあえる世界、愛しあえる世界、その前味を私たちはこの信仰共同体で味わい、分かち合っていきたいと思います。

 

 

 

 

コメントは受け付けていません。