2020年3月29日「今日も命の糧をください」加山献牧師

「今日も命の糧をください」加山献牧師

マタイによる福音書6章11節

これまでの「主の祈り」から、父なる神の御名のために、御国のために、また御心の実現のために祈ることの大切さを学んできました。しかしイエスさまは、同じ「主の祈り」の中で、私たちが自分自身の具体的な必要のために祈るということも教えてくださいました。

〈1〉 必要を神に求める祈り

「日用の糧をお与えください」という祈りの「糧」という言葉は「アルトーン」というギリシャ語で、直訳すれば「パン」を指す言葉です。当時の人々にとって「パン」は欠かすことのできない主食でした。特にガリラヤの貧しい人々にとって、「パン」は今日という日を生きていくための切実な願いだったのです。

わたしたちは父なる神の子どもとして、-子が父に願うように-、大胆に求めることが許されているのです。イエスさまは同じ山上の説教の中で、「求めなさい。そうすれば与えられます」とも言われました。主の御名によって大胆に求めるものでありたいです。

〈2〉御国の祈りと「わたしたち」の祈り

主の祈りの後半部分はひとりだけでは祈れない祈りです。イエスさまは、私たちがひとりで祈るだけでなく、信じるもの同士が集まり一緒に祈ることを前提としてこの祈りを教えてくださいました。また世界の飢えている人々の為にも祈り、できうる限りの行いを成すものでありたいです。

さらに、「今日与えたまえ」(新改訳2017)という言葉から、イエスさまは、私たちがこの祈りを毎日祈ることを前提とされました。「パンの背後に粉がある。粉の背後に麦がある。麦の背後に太陽の光と雨の恵みがある。そして全てのものの背後に父なる神さまの心がある。」(AMハンター)私たちの存在は全く、神さまに依存しています。だから今日も、神さまに願い、神さまに感謝する者でありたいと思います。

〈3〉私たちの霊的な糧を求める

「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」(マタイ4:4)霊的な糧とは神のみことばであり、イエス・キリストご自身です。ぜひ、毎日神の言葉である聖書を味わっていただきたいと思います。毎日いただくことによって、私たちは満たされ霊的に成長することができます。

イエスさまは「わたしが命のパンである」と言われました。みことばをいただく、ということは、それを通してイエス・キリストと出会う、ということです。イエスさまにしか癒せない、魂の飢え、魂の渇きがあります。「今日も命の糧をください」、「イエスさま、今日もあなたとご一緒に生きさせてください」と祈りましょう。

 

 

 

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