2020年3月1日「新しい出発」加山献牧師

「新しい出発」加山献牧師

出エジプト記12章31節~39節

1.新しい出発

出エジプト記のテーマは「脱出」です。イスラエルの民はエジプトに囚われ、閉じ込められ、厳しい労働を課せられて、苦しんでいました。そこから神さまに救い出され「脱出」する。それが出エジプト記のテーマです。

私たちも、自らの人生をそこになぞらえて、重ね合わせるようにして、このみことばをいただいていきたいと思います。私たちが閉じ込められている、抜け出すことのできない現実、神さまが、私たちをそこから救い出してくださる、「脱出」させてくださる。

私たちはどんなところに閉じ込められているのでしょうか。私たちは、どんな現実に囚われていて、動けなくなっているのでしょうか。人間関係、経済的な状況、過酷な労働、自分自身の内側にある葛藤、不安、怒り、孤独、悲しみ・・・、私たちは様々なしがらみの中で苦しみ、そこから動けずにいるかもしれません。しかし、神さまが私たちをそこから救い出し、持ち運んでくださる。究極的には、神さまが私を「罪と死」から救ってくださる。それが出エジプトの語る福音です。

2.酵母を入れないパンが指し示すもの

ユダヤの人々は聖書の時代から現在に至るまで、出エジプトの出来事を記念して過越の祭りを祝っていますが、今でもこの祭りの時には、酵母を入れないパンが食べられます。この酵母を入れないパン(=種なしパン)は聖書の中で特別な意味を持って語られています。

主イエスは「ファリサイ派の人々のパン種(=自己義認)とヘロデのパン種(=高慢な心)によく気をつけなさい」と戒められ(マルコ8章15節)、使徒パウロはコリントの教会に宛てた手紙の中で、「いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。」(第一コリント5章6節)とコリントの教会の人々を励ましました。

パン種(酵母)は聖書の中で、自己義認、高慢な心、悪意、そして罪を象徴しています。自分自身の心に悪意、高慢、自己中心などの罪が入ってこないように、よく心を見張るものでありたいと願います。

3.種なしパンと主の晩餐

種なしパンの最も重要な意味は、それがイエス・キリストご自身を指し示している、ということです。全く罪のないお方が、私たちのために裂かれた、ということです。

私たちは「自分をよく確かめた上で、パンを食べ、杯から飲むべきです」と教えられています。主の晩餐を受ける時、自分の心を確かめることが大切です。しかしながら、「私はこのパンと杯を受けるに値しない、私はふさわしくない」と恐れないでください。「こんな私が赦されたのだ、こんな私が受け入れられたのだ」と感謝して、主のからだと血とを受け取っていただきたいと思います。「主の晩餐を受けるにふさわしいもの」とは、主の救いを受け入れたもののことです。「私は罪人です。私を憐んでください」と主の前に悔い改めたもののことです。パン種の入っていないパン、罪なき方である主イエスをいただいて、私たちは今日も救いを受け取りつつ信仰の旅を歩みましょう。

 

 

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