2020年2月23日「過越の夜」加山献牧師

「過越の夜」加山献牧師

出エジプト記12章21節~28節

過越の祭りは、ユダヤ民族にとって変わってはならない、失われてはならないものとして受け継がれてきたものでした。この祭りはユダヤの三大祭りのひとつとして、現在も祝われています。

【過越の夜、何が起きたのか?】

今から約3000年前のこと、モーセはエジプト王ファラオのもとへ遣わされ「奴隷となっているイスラエルの民を解放してください、そうでないとまた災いがエジプトに降ります」という警告のメッセージを語りました。モーセはこれまで、すでに9回も警告のメッセージを伝え、その度にエジプトを災害が襲いました。そして10番目の最も恐ろしい災いがエジプトを襲おうとしていたのです。それは、エジプトに住んでいる全ての家庭の初子(長男)の命が失われる、というものでした。

しかしイスラエルの家の子どもは、不思議な方法でその災いから免れることができる、というのです。それは、家族ごとに一頭の羊を屠り、戸口の柱と鴨居にその羊の血を塗りなさい、という不思議な指示でした。それを守ればイスラエルの家には災いが訪れず、神様の裁きはその家を通りすぎ、「過ぎ越し」ていった、というのです。

この出来事を記念する過越祭は、エジプトからの脱出、救いと解放を証しして、次の世代に伝えていくための伝統となりました。そして「死」という災いがイスラエルの家を過ぎ越していったことを記念するものとなったのです。

 

【過越の食事と主の晩餐】

主イエスは十字架にかかられる前の夜、弟子たちと共に過越の食卓に着かれました。一般的に「最後の晩餐」として知られている場面です。「皆、この杯から飲みなさい。これは罪が赦されるように、多くの人のために流される、私の契約の血である。」(マタイ5:27~28)

新約の時代を生きる私たちにとって、主の晩餐式とは、どのようにして神が私たちを救ってくださったのか、どのようにして私たちは罪の縄目から解放されたのかを、思い起こし、次の世代に伝えていくための儀式です。そして、出エジプト記で犠牲になった過越の羊は、やがて来られるキリストを指し示すものなのです。

 

【人は何によって救われるのか?】

私たちを救うのはイエス・キリストの血潮だけです。これを離れて、私たちの救いはありません。誰にでも「死と向き合う」その日はやってきます。死は私たちのドアを一軒一軒回り、私のドアをノックする日が必ずやってきます。

そのような状況の中で、私たちを慰めるのは、行いでも、品性でも、功績でもありません。その時、私たちを慰めるのは、私を愛し、私のために命を捨てられた、キリストだけが私たちの慰めです。小羊の血には力がある。このことを過越の夜は語っています。

 

 

 

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