2020年2月9日「渇いている人は誰でも」加山献牧師

「渇いている人は誰でも」加山献牧師

ヨハネによる福音書7章37節~39節

イエスさまは弟子たちと共に、エルサレムに上って来ていました。ユダヤの三大祭りのひとつ仮庵祭という秋の祭りを祝うためでした。

◆時期:仮庵の祭りについて

かつてイスラエルの人々がエジプトから、約束の地であるカナンを目指して旅をした時、40年間荒野でテント生活した、ということを思い起こすための祭りでした。砂漠で飲み水に困っていたイスラエルの民に対して、神さまが岩から泉を湧き上がらせて助けてくださったことを記念して水の歌が歌われます。「マイム・マイム」というヘブライ語のフォークソングの歌詞も仮庵の祭りで歌われるイザヤ書の聖句からとられています。

◆ 状況:注目される主イエス

ガリラヤ地方の人々はいつもイエスさまの話を聞いていましたが、エルサレムの人やその他の地域から来ている人々にとっては、年に三回ある巡礼祭、都詣での期間が唯一、イエスさまと接触するチャンスでした。

一方では、妬みに燃えていた宗教的な指導者たちはイエスさまをとらえる機会をうかがっていました。この時からわずか半年後、もうひとつの巡礼祭である過越の祭りの時にイエスさまは十字架にかけられます。多くの人の関心がイエスさまの言動に集まっていたのです。

◆ メッセージ:生ける水、主イエスからの救いの招き

祭りが最も盛り上がる時に、「渇いている人は誰でも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」イエスさまは大声で言われました。

(1)誰が救いに招かれているのか?

イエスさまは「渇いている人は誰でも」と呼びかけられました。分け隔てなく、すべての人がこの救いに招かれています。

(2)誰が招きに応答するのか?

それは心に渇きを覚えている人、自分が渇いている、ということを知っている人です。私たちはどれほど、自分の魂の渇きに注意を向けているでしょうか?物質的な豊さの中にあっても、私たちは心の渇きを忘れないものでありたいと願います

(3)信じたものに与えられる泉とは?

「私を信じるものは、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」とイエスさまは言われました。この泉は溢れ流れて、渇いた大地を潤します。そして私たちの隣人を生かします。

イエスさまはこの半年後、十字架、復活、昇天を通して栄光を受けられることになります。そして、翌年のペンテコステの日に、教会に聖霊が注がれました。今は教会の時代であり、聖霊の時代です。私たちの内に与えられた聖霊の働き、この泉の流れを閉ざすことなく、解き放つ者でありたいと願います。

 

 

 

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