2020年2月2日「御国が来ますように」加山献牧師

「御国が来ますように」加山献牧師

マタイによる福音書6章10節

主イエスが教えてくださった「御国が来ますように」という祈りについて考えましょう。主イエスの宣教において「御国」(=神の国)は最も重要なテーマでした。主が公の働きを開始され、最初に語られたのも「時は満ち、神の国は近づいた、悔い改めて福音を信じなさい」という神の国についてのメッセージでした(マルコ1:15)。

ところで皆さんは、カルチャーショックを体験されたことはあるでしょうか。学校や職場が変わった時、新しい教会に移って来た時、新しい集団生活や結婚生活をはじめた時も、他の人との関わり合いの中で、文化の違い、育ってきた環境の違いというものを体験することがあります。

もし私たちが神の国(神のご支配の中)に入っていくならば、どのようなカルチャーショックを体験するのでしょうか。「貧しいものは幸いです。」「悲しむものは幸いです。」「あなたの敵を愛しなさい。」主の言葉によって表現された価値観、この世の文化とは全く違う真逆の価値観を体験するのです。

実は主イエスが語られた神の国は新しいものではなく、もともと人間が神との間に持っていた自然の関係だったのです。しかし罪が人に、そしてこの世界に入ってきたことにより、御国の文化は逆転させられてしまったのです。それまで神中心だった世界観が、自分中心の人生観に移り変わりました。価値観が自己中心に移ってしまったために、私たちは神様の愛や周りの人の愛を「自分の力」で勝ち取らなければならない存在になってしまったのです。

価値観の逆転が起こると共に、関係性の断絶がおきました。人と人との関係に、そして人と神様の関係に断絶がおきました。つまり、罪は全ての関係性を「条件つきの関係」に閉じ込めてしまったことになります。条件付きというのは、すなわち「人はありのままに愛され、ありのままに愛することができなくなった」ということです。

聖書が語る「神の国」には「すでに」と「いまだ」という二つのアスペクトがあります。主イエスの到来により、すでに修復された関係(神と人との関係、人と人との関係)があります。「実に神の国はあなたがたの只中にあるのだ。」(ルカ17:21)ありのまま愛されることができるという領域、ありのままの他者を愛することができる、という文化が回復され、私たちの間に「すでにある」のです。

ところが「いまだ」この世界には神の国が届いていない場所があります。この世界には憎しみがあり、敵意があり、戦争があり、貧困があり、差別があり、分断があります。それどころか、私たちの内側にも、この心の中にも、神の国が広がりきっていない領域があるのです。「御国を来らせてください」と祈りましょう。この世界に、この国に、私たちの住むこの街に、そして私の心に「御国を来らせてください」と祈りましょう。

この神の国を世界に広げていくことが教会の使命です。「あなたはありのままで愛されている。」「あなたはありのままの他者を愛することができる。」これが私たちの語るべきメッセージ、私たちの生きるべきメッセージです。これが御国の文化です。やがて、主がもう一度来られ、私たちを迎えてくださる時、この愛の御国が最終的に完成されるのです。 その希望を仰ぎ見つつ、私たちは今日も祈りましょう。「御国が来ますように。」

 

 

 

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