2020年1月5日「天におられるわたしたちの父よ」加山献牧師

「天におられるわたしたちの父よ」加山献牧師

マタイによる福音書6章7節~9節

「主の祈り」は新約聖書の2カ所に記されています。ルカ11章とマタイ6章「山上の垂訓」とです。ルカとマタイの記録を通して、主イエスは様々なところで、頻繁にこの祈りを教えられていたと考えられます。

主が教えられたこの祈りは、二つの点で革命的でした。第一に他の祈りと比べると圧倒的に短いということ、第二に他の祈りと比べると圧倒的にわかりやすいということです。当時のユダヤ教の祈りや、バビロニアの魔術に使われる祈祷文などと比べると、圧倒的に短く、意味が明瞭だったのです。

7節では「祈るときは、異邦人(父なる神を知らない人々)のようにくどくどと述べてはならない」と言われました。祈りには、ただ言葉の数を多くするよりも、もしくは覚えた文言をただ繰り返すよりも、もっと大切な意味があるのだ、ということを主イエスは教えられたのです。

続く8節に鍵となる言葉があります。「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。」わたしたちがどんなことに困っていて、どんなことで傷ついていて、どんな願いや必要を持っているのか、わたしたちが祈る前から神はすべてを知っていてくださる、というのです。

祈りとは、人間が語る言葉のみを意味するのではなく、神と人とを結ぶ絆を意味します。祈りとは、わたしたちの必要をすべて知っておられる神と人との交わりであり、イエス・キリストを通して人に与えられた特権なのです。その上で主イエスは「だから、こう祈りなさい」と主の祈りを教えられました。

『天におられる私たちの父よ。』「天」とは神さまの領域を指し示しています。人の力では絶対に入っていくことのできない神さまの領域を表しています。神は天におられ、人は地の上にいます(コヘレト5:2)。「天が地をはるかにこえて高いように、神の道は、人の道よりも高い(イザヤ55:9)」という御言葉もあります。そのように偉大な神が、イエス・キリストにあって、「わたしたちのお父さん」と呼ばれることを望んでくださった、「わたしたちのお父さん」になってくださった、ここに驚くべき恵みがあります。

人間は家出をした子どものような存在でした。しかし神は「まだ遠く離れていたのに、父は子を認め、憐れに思って走り寄り、その首を抱いて接吻した。」(ルカ15章) 「だから、このように祈りなさい」という主イエスの呼びかけは「父なる神さまの元に帰りなさい!」という呼びかけそのものです。「来なさい。帰って来なさい。悔い改めて、方向を変えて、子よ、父なる神さまの元へ、あなたのいるべき場所に戻って来なさい。」主の祈りを祈る時、「天にまします、われらの父よ」と祈る時、この呼び声が、今日もわたしたち一人一人にかけられていることを覚えましょう。

 

 

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