2019年12月8日「助けは来る」加山献牧師

「助けは来る」加山献牧師

詩編121編1節~8節

 

「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから。」(1節~2節)この詩編は「都に上る歌」とタイトルが付いています。ユダヤでは仮庵祭、過越祭、五旬節という三つ大きな祭りが祝われていました。この祭りの度に、人々はエルサレムの神殿で礼拝するために巡礼の旅に出かけていたのです。この詩編から三つのことを考えていきたいと思います。

1 「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。」

エルサレム巡礼にかぎらず、わたしたちの人生そのものが旅のようなものです。時に山々を見上げるようにして「自分の人生はこれからどうなっていくのだろうか」と見渡し、「わたしの助けはどこから来るのか」と問いかけることがあります。聖書は私たちの人生にあらゆる試練や困難があることを隠したりはしません。私たちは目の前のことで忙しく、身近なことにとらわれていることが多いかもしれません。しかし聖書は、私たちに対して、山々をはっきりと見つめるように促します。「あなたはこれを乗り越えなければならない。」「あなたはこのところに助けが必要だ。」これは神さまからの愛のメッセージです。

2 「わたしの助けは来る。」

「われ、山にむかいて、目を挙ぐ。詩篇、第百二十一。」これは太宰治が亡くなる直前に書いた「桜桃(おうとう)」という短編小説の冒頭部分です。彼は人生最後の作品に文語訳聖書の詩編121編を引用したのです。太宰治はかなり聖書を学んでいた人だといわれています。彼の他の作品の中にもたびたび聖書の言葉の引用があります。ところが彼は、最終的に玉川上水に入水して自ら命を絶ってしまいました。彼は自分の罪深さと弱さを知り、苦しんでいたのです。太宰治は自分の人生に存在する険しい山々を知っていました。しかし彼は、この詩編を読みながらも、自分のために「助けが来る」ことを信じることができなかったのです。

聖書の言葉をどれほど学んだとしても、もし「信じる」ことをしないなら、この書物の本当の力を味わうことはできません。信じて受け取ることにより、聖書の言葉は私たちの人生においてその力を発揮するのです。どのような状況の中にあっても、どうか信じてください。あなたのための助けは、もうすでにあなたに向けて備えられているのです。

3 「わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから。」

この助けは天地を造られた神のもとから来ると、詩人は詠っています。アドヴェントの季節です。今回は特別にこのようにお伺いしたいと思います。この「助け」とはどなたのことでしょうか?私たちのとっての(全人類にとっての)究極的な助けである存在、「イエス・キリスト」は既に来られました。ぜひこの方の赦しと救いを受け取ってください。心からお勧めいたします。

 

 

 

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