2019年10月27日「解放のはじまり」加山献牧師

「解放のはじまり」加山献牧師

出エジプト記2章11節~25節

モーセはエジプト王ファラオによる、迫害の最中に生まれてきました。しかし、彼は王室に引き取られ、当時の最高水準の教育を受けました。この事が、のちにイスラエルの指導者となってリーダーシップを発揮していくために大きな役に立ちました。モーセが王宮で育った奇跡は、神の深いご計画の一部だったのです。

成長したモーセは、自分の同胞がエジプト人に打たれているのを見た時、それを見過ごすことができませんでした(11節)。ついにそのエジプト人に打ちかかり、殺人を犯してしまったのです。その翌日にもモーセは同じ場所に出ていきました。今度はヘブライ人同士が喧嘩をしているところに居合わせ、その仲裁しようとしました。ところが「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」と仲間だと思っていたヘブライ人に遠ざけられてしまったのです(13節)。殺人を犯してしまったことが公に知られると、モーセは逃亡せざるを得なくなりました。モーセはその時持っていた地位と名誉、権力と誇りを一瞬にして失ったのです。

エジプト人の中にも、ヘブライ人の中にも自分の居場所を見出せず、逃亡者となったモーセはミディアン地方にたどり着きました。そこでミディアンの娘ツィポラと結婚して家族を持ちます。ツィポラとの間に生まれた息子の名は、自分の境遇「寄留者(ゲール)」にちなんで、ゲルショムと名付けられました。この息子の名前は、自分の力で世界を変え、自分の力で自分の居場所を作り出すことのできなかったモーセの心境を表わされています。神の器として用いられるために、モーセは砕かれる必要がありました。そしてもう一度形作られる必要があったのです。やがて彼はこの荒野の中で神と出会い、神のみもとに自分の居場所を見出すようになるのです。

24節からは、神が主語となっています。神が民の叫びを聞き、契約を想い起し、人々を顧み、御心に留められました。モーセが何者であるかによらず、神が神であられるから、この解放の始まりが告げられているのです。私たちが何者であるかによらず、ただ神の憐れみによって、私たちに十字架の救いが与えられたことも同様です。出エジプトはイエス・キリストの十字架の救いを指し示すものであったことを覚えましょう。

 

 

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