2019年10月20日「金持ちとラザロ」今村まさゑ協力牧師

「金持ちとラザロ」今村まさゑ協力牧師

ルカによる福音書16章19節~31節

イエスさまは、多くの譬え話をして真理を分かり易く説かれました。この箇所で興味深いのは、大金持ちの名は挙げられず、物乞いをしていた男の名はラザロであったと語られるのです。この譬え話はイエスの話を聞いて嘲笑った「金に執着するパリサイ派の人々」に対してされたのです。金持ちは王が着るような衣服を身にまとい、毎日、贅沢にお祭り騒ぎをして遊び暮らしていました。この金持ちの門前に、できものだらけのラザロが横たわり、金持ちの食卓からの捨てられたもので生きていました。野良犬がやって来て舐めてくれることが、慰めでありました。やがて、ラザロは死にましたが、葬ってくれる者もいませんでした。しかし、天使たちによって天国へと連れて行かれました。さて、金持ちも死んで葬られました。葬られたというのは、立派な葬儀が行われたということを示します。ところが、金持ちは陰府(よみ、地獄)で、さいなまれながら目を上げると、はるかに宴席で、こともあろうか、あのラザロが、イスラエルの父祖アブラハムのとなりで満ち足りている姿が見えたというのです。金持ちは大声で「父アブラハムよ、わたしを憐れんでください。ラザロを遣わして、炎の中でもだえ苦しんでいるわたしの舌に、指先に浸した水で冷やしてください」と叫びました。しかし、それはできない。天の国と陰府は越えられないのです。金持ちはそうであれば、まだ生き残っている五人の兄弟の所に、警告にラザロを遣わしてくださいと願いましたが、これも叶いませんでした。

生きている人々には、「モーセと預言者がある」。つまり「聖書」がある。聖書を読まないのであれば、他の誰を遣わそうと「その言うことを、聞き入れはしないだろう」(31節)と明言しています。金持ちとラザロ、この二人は相次いで死に、金持ちは陰府に、ラザロは天国に、その理由をイエスさまは触れておられません。ただ、ラザロという名は、「神は助け」の意であり、「神の助けなしに、生き得ぬ者」であることを語っています。金持ちにも良いところは幾つもありました。門前に哀れな者が居ても追い払わず、捨てた残飯とはいえ食することをゆるし、名前までも覚えていました。また、兄弟に対しても、悔い改めて地獄に来ぬように、必死で執り成すなど中々なものです。しかし、「律法の文字の一画がなくなるよりは、天地の消え失せるほうが易しい。」(16章17節)とあるように、神の掟、神の言は滅びることはない。神の真理、それは揺らぐことはない。」わたしたちの命は、この世の死で終わらないのです。復活の命を信じ、御国への憧れに生きる者は、この地上の働きが無駄にならないことを信じて生きるのです。最後に「コリントの信徒への手紙(一)15章58節」を読み、祈ります。

 

 

 

 

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