2019年9月22日「守れなかった約束はありますか?」加山献牧師

「守れなかった約束はありますか?」加山献牧師

マタイによる福音書5章33節~37節

ユダヤの人々は、「誓いを果たす」ということを最高の美徳としていました。ところが旧約聖書には、律法(律法は神との契約=約束事の一部分と言えます)を守りきることができなかった人間の歴史が赤裸々に記されているのです。そのような歴史を持つ民に対して、主イエスは言われました。「しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。」

神との約束を守りきれなかった結果、人類は神との断絶を経験するようになりました。そのすべての呪いと罰を背負うために、また、神と人間の絆を再び取り戻すために主イエスはこの地に来てくださったのです。そして、主イエスは完全な生き方を通して、律法の要求を満たしてくださいました。

「一切誓いを立ててはならない」という主イエスの新しい教えは、神に対して誓いを立てて、その約束を守ることによって救いを得る必要がなくなった、ということを示しています。しかしながら、旧約聖書の律法はすべて必要なくなった、という意味ではありません。律法の原則的な部分は、今でも私たちの生活を導くガイドライン、倫理基準として生き続けています。

37節を新改訳で見ると「あなたがたの言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい」とあります。自分が間違っていたと気づいたのならば、取り繕わずに、素直に「はい」と認める。できないと思ったことは、正直に「いいえ」と断る。そのような実直な生き方も求められているといえます。しかし何にもまさって、「あなたがたはいつも真実な言葉を語るものであってほしい」という主イエスの大きな願いがここにあります。37節は「それ以上のことは、悪い者から出るのである」と結ばれています。「悪い者」とは悪魔を指して使われている言葉です。なんと、悪魔という存在が人の唇に偽りを語らせ、互いの信頼関係を失わせて、社会の基盤を乱している、というのです。

現代は様々な情報が行き交っている社会です。テレビやインターネットを通して様々な意見が聞こえてきます。何が真実なのかわからない、どの言葉を信じていのかわからない、そのような混乱した時代に私たちは生かされています。真実よりも、むしろ感情や個人的信条のアピールの方が影響力をもつ時代なのです。この真実が失われた時代の中で、イエス・キリストだけがただ一人、常に真実な言葉を語る方であったことを想い起しましょう。

誓いを果たせなかった人間に対して、神は救いと恵みの約束を示してくださいました。ご自身が約束されたことについて、どこまでも誠実で、真実であられた神の義を、私たちは受け取ることができます。神の人類に対する約束はことごとく成就し、その誓いは果たされてきました。主イエスこそが神の約束の最大の成就なのです。

私たちはこの難しい時代にあって、キリストの御言葉に命の力を見出し、神の言葉そのものであるキリストを聞き、キリストを語る教会として召されていることを覚えましょう。

 

 

コメントは受け付けていません。