24. 8月 2019 · 2019年8月11日「キリストの基準」加山献牧師 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 宣教メッセージ

「キリストの基準」加山献牧師

マタイによる福音書5章27節~32節

 

私たちは、人間が作り上げた「社会の基準」の中で生活しています。しかし人間の道徳観は、時代と共に、風のように遷り変わっていくのです。主イエスが人としてこの地上を歩まれた時代も、人々は自らの倫理基準と風習を築き上げていました。遷り行く「人間の基準」に対して、主イエスは「しかし私は言っておく」とご自身の教えを提示されたのです。今回は、姦淫と離縁についての主の教えに耳を傾けましょう。

 

1 姦 淫

「姦淫」は結婚関係以外での性的な営みを指しています。ここでは「モイケウオー」というギリシア語が使われています。この単語は「侵入する、侵害する」という意味合いも含めて使用されていました。幸せな結婚に、幸せな家庭に侵入する悪魔の罠、それが「姦淫」である、というのです。当時の人々も、結婚関係を重んじて、結婚外での不貞を厳しく戒めていました。

ところが主イエスは、「そのような思いで他者を見つめただけで罪である」と、人の心の内面を問題とされたのです。この世の基準では、実際の行為に至らなければ、罪に問われることはありません。しかし主は、この教えを通して「人はみな例外なく罪人である」ことを指摘されたのです。

その私たちの罪を全て背負って、主は十字架についてくださいました。救いはただ主の十字架にあります。主の十字架を信じ受け入れるということは、この世の基準ではなく、「キリストの基準」でこの世を生きようとすることでもあります。生活と思いの全ての領域において、神に喜ばれる生き方を完遂することは不可能です。しかし私たちは常に挑戦するものでありたいです。その生き方に伴って、必ず主にある報いがあることを私たちは信じます。

 

2 離 縁

当時の結婚はレビラート婚と呼ばれ、女性は男性の所有物の一部と考えられていました。女性は自分の意思で離婚することはできず、男性の方でなにか不都合があれば、すぐに離縁状を出し、離婚することが認められていたのです。圧倒的に男性優位の社会でした。

しかし主は「妻によほど不誠実なことがない限りは、離縁してはならない」と教えられました。主は、社会的に弱い立場にあり、虐げられていた女性を一人の人格として認められました。そして男性に対しては、一人の女性を大切にし、愛し続けることを命じておられるのです。これもまた、その当時の人々の考え方とは全く異なる「キリストの基準」でした。

 

 

 

 

 

 


Comments closed